上野山功一はどんな俳優?本名・出演作から福島での晩年、2023年逝去まで徹底解説

目次
上野山功一はどんな俳優?本名・出演作から福島での晩年、2023年逝去まで徹底解説
上野山功一はどんな俳優?本名・出演作から福島での晩年、2023年逝去まで徹底解説
@ creator • Click to Play Video Inline
🎵 上野山功一はどんな俳優?本名・出演作から福島での晩年、2023年逝去まで徹底解説

上野山功一(うえのやま・こういち)は、1958年に日活映画で本格的にデビューし、映画・テレビドラマ・舞台などで長年にわたり活躍した日本の俳優です。本名は上野山貢之介(うえのやま・こうのすけ)。刑事ドラマや時代劇、特撮作品で存在感を発揮し、個性的な悪役俳優として知られました。

1999年には妻の母親の世話のため福島県福島市に転居。その後は居酒屋を経営する傍ら、腹話術を使ったトークショー「福島のコーモンチャマ」でも活動しました。2023年1月22日に89歳で逝去した上野山功一の生涯を、公式プロフィールや作品データベースに残る記録からたどります。

📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
  • プロフィール:1933年3月7日生まれ。本名は上野山貢之介で、日本大学藝術学部映画学科に学びました。
  • 俳優としての経歴:1958年に日活映画で本格デビューし、映画・テレビ・舞台など幅広いジャンルで活躍しました。
  • 晩年と逝去:1999年に福島市へ移住し、居酒屋経営や腹話術でも活動。2023年1月22日に89歳で亡くなりました。

【上野山功一のプロフィール】本名・生年月日・学歴を整理

上野山功一は、昭和の映画・テレビ界を支えた名脇役の一人です。日本タレント名鑑や本人の公式サイトに掲載されたプロフィールからは、俳優としての長いキャリアに加え、芸能活動の幅広さもうかがえます。

項目内容
芸名上野山功一(うえのやま・こういち)
本名上野山貢之介(うえのやま・こうのすけ)
生年月日1933年3月7日
逝去2023年1月22日
享年89歳
出身地東京市中野区沼袋
学歴日本大学藝術学部映画学科中退
主な活動分野映画、テレビドラマ、舞台、歌、腹話術
主な所属歴グループ71、オールスタッフ、小市事務所などを経てダテ企画に所属
晩年の活動拠点福島県福島市

生年月日は1933年3月7日で、2023年1月22日に89歳で亡くなりました。生まれた時代は、日本映画が大きな転換期を迎える前の昭和初期に当たります。その後、映画館を中心とした娯楽文化が広がり、テレビが家庭に普及していくなかで、上野山は活動の場を映画からテレビへと広げていきました。

学歴については、日本大学藝術学部映画学科に学び、在学中から演劇活動を始めたと本人の公式プロフィールに記載されています。大学は中退とされていますが、映画や演技を学ぶ環境に身を置きながら、早い段階で実際の芸能活動へ進んだことが分かります。

また、本人の公式プロフィールでは、父親は画家の上野山清貢と紹介されています。上野山功一の経歴を調べる際には、俳優としての活動だけでなく、こうした芸術的な家庭背景も人物像を知る手掛かりになります。

当時のメディア報道・掲載写真
【検証資料 1】当時のメディア報道・掲載写真(出典:space.rakuten.co.jp)

【上野山功一の経歴】日活デビューからテレビ・舞台へ

上野山功一の本格的な映画デビューは1958年の日活作品『昼下りの暴力』です。日本タレント名鑑や本人の公式サイトによると、当初は日活のアクション映画を中心に活動し、その後、大映作品やテレビドラマへと活躍の場を広げました。

日活時代:アクション映画でキャリアを築く

1950年代後半から1960年代前半にかけては、映画会社が専属俳優を抱え、各社が特色ある作品を送り出していた時代です。上野山は日活作品への出演を重ね、『事件記者 深夜の目撃者』『コルトが背中を狙ってる』『早射ち野郎』『上を向いて歩こう』などに参加しました。

日本タレント名鑑のプロフィールでは、上野山は日活アクション映画で活動した後、1960年代半ばに大映へ移籍したと紹介されています。移籍後は、市川雷蔵が主演した『眠狂四郎』シリーズや、江波杏子が主演した『女賭博師』シリーズなど、大映を代表する作品群にも出演しました。

テレビ時代:刑事ドラマ・時代劇・特撮で存在感を発揮

1960年代後半以降、上野山の活動はテレビドラマにも広がりました。本人の公式プロフィールでは、テレビや舞台などを含めて500本以上の出演歴があると紹介されています。この数字は本人のプロフィールに記載された累計であり、映画・テレビ・舞台を含む活動規模を示す参考情報です。

テレビでは『ザ・ガードマン』『キイハンター』『太陽にほえろ!』などの刑事・アクション系作品に加え、『必殺』シリーズや『水戸黄門』などの時代劇にも出演しました。さらに、『イナズマンF』『超神ビビューン』といった特撮作品にも参加しています。

作品ごとに役柄や時代設定が変わっても、印象に残る脇役として物語を支えたことが、長く出演を続けられた理由の一つと考えられます。主演俳優のように一つの作品の看板を背負うのではなく、複数のジャンルで演技を積み重ねるタイプの俳優だったのです。

【上野山功一の出演作品】映画・ドラマの代表作を紹介

上野山功一の出演作品を調べるなら、日本映画データベース、allcinema、KINENOTE、映画.comなどの作品情報を参照すると、映画の出演記録を追いやすくなります。テレビドラマについては、本人の公式サイトに掲載された出演歴や、テレビ番組の作品情報も手掛かりになります。

映画:日活アクションから大映の時代劇・特撮映画まで

上野山の映画出演歴は、特定のジャンルだけに限られません。日活時代のアクション映画から、大映の時代劇や怪奇映画、東映のアクション作品まで、幅広い作品に参加しています。

  • 『昼下りの暴力』(1958年):日活作品。本格的な映画デビュー作として、本人の公式プロフィールや日本タレント名鑑に記載されています。
  • 『上を向いて歩こう』(1962年):日活の青春・社会派ドラマとして知られる作品です。
  • 『眠狂四郎炎情剣』(1965年):大映の時代劇作品。移籍後の出演歴をたどるうえで重要な一本です。
  • 『続・兵隊やくざ』(1965年):戦争を背景にした人気シリーズの作品です。
  • 『大魔神怒る』(1966年):大映の特撮時代劇映画です。
  • 『三匹の女賭博師』(1967年):江波杏子らが出演した女賭博師シリーズの一作です。
  • 『東海道お化け道中』(1969年):大映の妖怪映画として知られています。
  • 『秘録 怪猫伝』(1969年):怪奇時代劇の出演作です。
  • 『若い貴族たち 13階段のマキ』(1975年):東映のアクション作品です。
  • 『子連れ殺人拳』(1976年):東映のアクション映画です。

この一覧からも分かるように、上野山の出演歴には、アクション、任侠、時代劇、怪奇、特撮といった複数の系統が見られます。出演作を探す際は、俳優名だけでなく、制作会社や公開年を組み合わせると、同姓同名や表記の揺れによる取り違えを減らせます。

テレビドラマ:長寿シリーズへの出演が目立つ

テレビドラマでは、刑事ものや時代劇、特撮などに出演しました。代表的な作品として挙げられるのは、『ザ・ガードマン』『キイハンター』『太陽にほえろ!』『必殺仕事人』シリーズ、『水戸黄門』などです。

また、1974年の『イナズマンF』では荒井誠役、1976~1977年の『超神ビビューン』ではダイマ博士役を務めています。悪役俳優というイメージだけで出演歴を整理すると、こうした特撮作品での役柄や、時代劇における幅広い活動を見落としがちです。

出演作品の全体像を把握したい場合は、日本映画データベースなどで映画を調べ、テレビドラマの作品データと照らし合わせる方法が有効です。出演者名が記録されていても、すべての作品で役名まで確認できるとは限らないため、作品単位で情報を確認することが大切です。

活動歴および当時の関連ビジュアル記録
【検証資料 2】活動歴および当時の関連ビジュアル記録(出典:tmdb.org)

【大捜査線第12話】「路上の結婚式」に上野山功一が出演

上野山功一のテレビ出演歴を調べる人が注目する作品の一つが、1980年に放送されたフジテレビ系ドラマ『大捜査線』第12話「路上の結婚式」です。各話の出演者をまとめた番組資料では、上野山功一の名前がキャストの一人として記録されています。

同エピソードの資料では、脚本は山野四郎、監督は手銭弘喜とされています。出演者には大出俊、茅島成美、睦五郎、高城淳一、新橋耐子らの名前も見られます。

なぜ第12話が検索されるのか

『大捜査線』は、テレビドラマの出演歴を調べる際に、放送年だけでなく各話のタイトルやキャストまで確認したい作品の一つです。上野山功一のように多くのドラマへ出演した俳優の場合、出演者一覧に名前が載っていても、役名や登場場面までは記録されていないケースがあります。

「路上の結婚式」についても、確認できる出演者資料からは上野山の出演をたどれますが、役名を確実に特定できる情報は見当たりません。役名や具体的な場面を知りたい場合は、当該エピソードの本編や、より詳細な番組資料を確認する必要があります。

こうした各話単位の記録は、出演作品の全体像を復元するうえで重要です。映画の出演一覧だけでは把握しにくい、上野山のテレビ俳優としての活動の厚みを知る手掛かりにもなります。

【1999年に福島市へ転居】居酒屋経営と「福島のコーモンチャマ」

上野山功一の人生を語るうえで大きな転機となったのが、1999年の福島市への転居です。人物紹介資料によると、妻の母親の世話をするため、福島県福島市に生活の拠点を移しました。

転居後は、福島市内で居酒屋を経営する傍ら、俳優としての活動も続けました。テレビや映画で知られる俳優が、地方都市で飲食店を営みながら芸能活動を続けた点は、上野山の晩年を特徴づけるエピソードです。

腹話術のトークショー「福島のコーモンチャマ」とは

福島での活動を象徴するのが、腹話術を使ったトークショー「福島のコーモンチャマ」です。本人の公式サイトには、相棒となる人形「ハチ兵衛」と掛け合いをしながら、芸能界の裏話や撮影にまつわる話、高齢期の生き方などを語る企画が紹介されています。

公式サイトでは、老人ホームへの慰問、刑務所への慰問、ロータリークラブやライオンズクラブでの講演、結婚式への出演など、幅広い活動実績も案内されていました。映画やテレビの画面とは異なる、観客と直接向き合う場での活動です。

長年にわたって俳優を続けてきた経験は、腹話術のトークにおいても強みになったと考えられます。撮影現場での経験や芸能界で出会った人々について語ることは、作品の中では伝わりにくい本人の個性を観客に届ける機会にもなります。

俳優業を終えたのではなく、活動の形を広げた晩年

福島への転居は、俳優としての活動をただちに終えたことを意味しません。人物資料では、転居後もオリジナルビデオ作品などに出演し、芸能活動を継続したとされています。

実際、1999年公開の『仁義20 裏切りの報酬』や、2004年の『修羅のみち11 四国最終戦争』『修羅のみち12 完結編』など、後年の出演作も作品データベースに記録されています。福島での居酒屋経営と俳優活動、腹話術による地域での交流は、上野山の晩年を理解するうえで欠かせない要素です。

公の場での発言・インタビュー報道記録
【検証資料 3】公の場での発言・インタビュー報道記録(出典:pbs.twimg.com)

【上野山功一の現在】2023年の逝去と残された出演記録

上野山功一は、2023年1月22日に89歳で逝去しました。そのため、2026年現在は新たな出演活動を行っていません。一方で、過去の映画やテレビドラマの記録、本人の公式サイトに残されたプロフィールや活動紹介を通じて、その仕事を振り返ることができます。

本人の公式サイトには「福島のコーモンチャマ」の紹介や出演歴が残っています。ただし、トップページに表示されている最終更新日は2013年11月21日です。現在の活動状況を示す更新情報ではなく、生前の活動を伝える記録として読む必要があります。

逝去後も出演作品を調べられる理由

映画やテレビドラマの出演者情報は、俳優本人の活動が終わった後も、作品データベースや番組資料に残ります。上野山功一については、日本映画データベース、allcinema、KINENOTEなどの作品情報を手掛かりに、映画出演歴を調べることができます。テレビドラマについては、本人の公式サイトや番組別の出演者記録も参考になります。

ただし、データベースによって収録対象や表記方法は異なります。ある資料では役名まで記載されていても、別の資料では出演者名だけの場合があります。また、映画の公開年とテレビドラマの放送年を混同しないことも大切です。

ネット上で混同しやすい3つのポイント

  • 「現在も活動している」という情報:生前に作成された公式サイトやプロフィールが検索結果に表示されることがあります。ページが残っていることと、本人が現在活動していることは別です。
  • 「出演作が少ない」という印象:映画の一覧だけを見ると、テレビドラマや舞台、特撮作品での活動を見落とす場合があります。複数の資料を照合することで、経歴をより立体的に把握できます。
  • 「悪役専門の俳優」という理解:悪役として知られていた一方、特撮や時代劇など多様な作品に出演しています。役柄のイメージだけでキャリア全体を判断するのは適切ではありません。

上野山功一の経歴を正確にたどるには、本人の公式プロフィールで基本情報を確認し、日本タレント名鑑で芸歴の概要を把握したうえで、作品データベースや番組別資料を照合する方法が適しています。こうすることで、俳優としての長い活動と、福島での晩年の取り組みを切り分けて理解できます。

【上野山功一】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:上野山功一の本名は何ですか?
A1:本名は上野山貢之介(うえのやま・こうのすけ)です。1933年3月7日生まれで、東京市中野区沼袋の出身とされています。

Q2:上野山功一はいつ亡くなりましたか?
A2:2023年1月22日に89歳で逝去しました。2026年現在は、過去の出演作品や生前の活動記録を通じて、その経歴をたどることができます。

Q3:上野山功一の代表的な出演作品は何ですか?
A3:映画では『大魔神怒る』『続・兵隊やくざ』『三匹の女賭博師』『東海道お化け道中』など、テレビでは『太陽にほえろ!』『イナズマンF』『超神ビビューン』『水戸黄門』などが挙げられます。

Q4:上野山功一はなぜ福島市に転居したのですか?
A4:人物資料によると、1999年に妻の母親の世話をするため福島県福島市へ転居しました。転居後は居酒屋を経営しながら、俳優としての活動も続けました。

Q5:「福島のコーモンチャマ」とは何ですか?
A5:上野山功一が腹話術を使って行っていたトークショーです。人形の「ハチ兵衛」と掛け合いをしながら、芸能界の話や人生にまつわる話題を披露する活動として、本人の公式サイトに紹介されています。

Q6:上野山功一は『大捜査線』第12話に出演していますか?
A6:はい。1980年放送の第12話「路上の結婚式」の出演者資料に名前が記録されています。ただし、参照できるキャスト一覧では役名までは特定できません。

まとめ:【プロの結論】上野山功一の生涯から見える俳優の仕事

上野山功一は、1958年の日活映画で本格的にデビューし、映画・テレビドラマ・舞台を中心に長年活動した俳優です。本名は上野山貢之介。刑事ドラマや時代劇、特撮作品など、さまざまなジャンルで出演歴を重ねました。

1999年の福島市への転居後は、居酒屋経営と俳優業を並行し、腹話術のトークショー「福島のコーモンチャマ」でも活動しました。2023年1月22日に89歳で逝去しましたが、出演作品や本人の公式サイトに残された記録から、その歩みを振り返ることができます。

上野山功一のキャリアから読み取れるのは、俳優の仕事が主演作や代表作だけでは測れないということです。多くの作品を支える脇役としての活動、テレビから舞台への広がり、そして晩年の地域に根ざした表現活動までを合わせて見ることで、人物像はより鮮明になります。

出演作を探す場合は、本人の公式プロフィール、日本タレント名鑑、日本映画データベース、allcinema、KINENOTEなどを組み合わせて確認するのがおすすめです。個々の役柄だけでなく、出演した時代や作品ジャンルにも目を向けると、昭和から平成にかけての映像文化を支えた俳優の仕事が見えてきます。 (出典: 上野山 功 一(Yahoo!ニュース))

上野山功一
上野山功一
上野山功一