岸井成格とはどんな政治記者だったのか?経歴・死因・家族とNEWS23での功績を徹底解説
岸井成格(きしい・しげただ)は、毎日新聞社の主筆や特別編集委員を務め、TBS系の報道番組「NEWS23」ではアンカーとして政治ニュースを解説したジャーナリストです。政権に対しても歯に衣着せぬ発言を続けた一方、安全保障関連法案をめぐる報道姿勢が議論を呼ぶなど、評価が分かれる人物でもありました。
2018年5月15日、肺腺がんのため73歳で死去。過去には大腸がんを公表しており、晩年の闘病にも関心が寄せられました。2026年現在、改めて岸井成格の経歴、NEWS23での活動、父・岸井寿郎や家族に関する情報、死因と晩年、そしてジャーナリストとして残した功績を振り返ります。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 経歴:1967年に毎日新聞社へ入社し、政治部長、論説委員長、主筆などを歴任した政治記者。
- 死因:2018年5月15日に肺腺がんで死去。2007年12月には大腸がんを公表していた。
- テレビでの功績:2013年4月から2016年3月までNEWS23のアンカーを務め、サンデーモーニングでも政治・社会問題を解説した。
【経歴】岸井成格はどんな政治記者だったのか?
岸井成格は1944年9月22日、東京都に生まれました。慶應義塾大学法学部法律学科を卒業後、1967年に毎日新聞社へ入社。熊本支局で記者としてのキャリアをスタートさせ、1970年には東京本社政治部へ異動しました。
その後、政治部記者として経験を積み、1980年にはワシントン特派員に就任。米国政治や国際情勢を取材した経験は、国内政治を国際的な視点から読み解くうえでも重要な土台となりました。
帰国後は政治部で首相官邸や自民党、野党などを担当し、1994年に政治部長、1998年に論説委員長、2010年に主筆へと昇進。2013年からは特別編集委員として活動しました。新聞社の現場取材から社説・論説、テレビでのニュース解説まで、幅広い役割を担った人物です。
慶應義塾大学教養研究センターの講師プロフィールでも、政治部長、論説委員長、主筆、ワシントン特派員といった経歴が紹介されています。同センターは、岸井が「環境省」という名称の名付け親の一人でもあると記しています。
主な経歴を時系列で整理すると、次のようになります。
| 時期 | 出来事・役職 | 主な内容 |
|---|---|---|
| 1944年9月22日 | 東京都に生まれる | 後に政治報道の第一線で活躍 |
| 1967年 | 毎日新聞社に入社 | 慶應義塾大学法学部卒業後、熊本支局へ |
| 1970年 | 東京本社政治部 | 国内政治の取材に従事 |
| 1980年 | ワシントン特派員 | 米国政治・国際情勢を取材 |
| 1994年 | 政治部長 | 政治報道の現場を統括 |
| 1998年 | 論説委員長 | 新聞社の論説・社説を担う立場へ |
| 2010年 | 毎日新聞社主筆 | 編集・論説面で重要な役職を務める |
| 2013年4月〜2016年3月 | NEWS23アンカー | テレビで政治・社会ニュースを解説 |
| 2018年5月15日 | 死去 | 肺腺がんのため73歳で亡くなる |
岸井の経歴で特徴的なのは、政治家の発言を伝えるだけでなく、その発言が生まれた背景や政権運営への影響を分析する仕事を長く担った点です。取材現場で得た知識を論説に反映し、さらにテレビで一般視聴者へ伝えるという複数の役割を経験したことが、独自の解説スタイルにつながりました。

【NEWS23】アンカー時代の活動と評判、2016年の論争
岸井成格の名前を広く知らしめた仕事の一つが、TBS系「NEWS23」のアンカーです。2013年4月から2016年3月まで番組のニュース解説を担当し、政治や安全保障、社会問題などを独自の視点から論じました。
TBSが番組紹介で掲げた岸井の強みは、政治だけでなく経済・社会や世界の動向までを分析し、難しい問題をテレビで分かりやすく伝える力でした。長年の新聞記者経験を生かし、政策の表面だけでなく、その背後にある政治的な力関係や影響を解説するスタイルが特徴でした。
一方、岸井の評判を考えるうえで避けて通れないのが、安全保障関連法案をめぐる論争です。
2015年9月16日の「NEWS23」で、岸井は安保法案について、メディアとして廃案に向けて声を上げ続けるべきだという趣旨の発言をしました。これに対し、「放送法遵守を求める視聴者の会」は、政治的公平性を定めた放送法との関係を問題視。2015年11月には産経新聞や読売新聞に意見広告を掲載し、岸井の発言や番組の報道姿勢を批判しました。
これに対してTBSは、報道・情報番組において経験豊富なキャスターやアンカーがニュースを解説・論評することは広く受け入れられているとの考えを示し、公平・公正な番組づくりに努めると回答したことが報じられています。
2016年2月29日付の産経新聞は、高市早苗総務相(当時)の電波停止発言に抗議する記者会見を取り上げ、岸井が自身への批判に反論したことを報道しました。この時期の岸井は、政治的公平性と報道の自由をめぐる議論の中心人物の一人でした。
同年3月、岸井はNEWS23を降板しました。ただし、降板の理由を政治的圧力だけに求めるのは正確ではありません。TBS側は当時、安保報道をめぐる騒動より前から降板について話し合っていたと説明したことが報じられています。
岸井成格の評判は、政治権力への厳しい姿勢を評価する見方と、報道番組のアンカーとしての政治的公平性を疑問視する見方に分かれました。どちらか一方の評価だけで人物像を決めるのではなく、実際の発言、批判の内容、放送局の説明を分けて考える必要があります。
【死因と闘病】肺腺がんによる死去と大腸がん公表の経緯
岸井成格は2018年5月15日午前3時35分、東京都内の自宅で肺腺がんのため亡くなりました。73歳でした。死去は毎日新聞などを通じて伝えられ、日刊スポーツも2018年5月16日付の記事で死因や生前の活動を報じています。
ここで区別しておきたいのが、死因となった肺腺がんと、過去に公表した大腸がんです。岸井は2007年12月、TBS系「サンデーモーニング」で大腸がんを公表していました。大腸がんを公表した事実と、2018年の死因が肺腺がんだったという事実は、それぞれ別の経緯として理解する必要があります。
日刊スポーツの訃報によると、岸井は2017年10月の「サンデーモーニング」でも、がん治療のために入院していたことを明かしています。同年12月3日の放送を最後に番組への出演を休んでおり、亡くなるまでの数カ月はテレビで姿を見る機会がなくなっていました。
長年にわたってニュースを解説してきた岸井にとって、テレビ出演は活動の重要な一部でした。病気による休演は、視聴者が本人の近況を知る機会が減ったことにもつながりました。
ただし、過去の大腸がんと肺腺がんの間にどのような医学的関係があったのか、具体的な治療経過や病状の詳細までは、当時の報道だけでは判断できません。死因として公表されたのは肺腺がんです。
岸井が亡くなった後、2018年6月18日には東京都千代田区の如水会館でお別れの会が開かれました。毎日新聞の報道によると、森喜朗元首相、福田康夫元首相、大島理森衆院議長ら政界関係者を含む約1000人が参列し、献花しました。関口宏も弔辞を読み、長年交流のあった岸井をしのびました。
岸井成格の現在について検索する人もいますが、2026年現在、本人はすでに亡くなっています。現在の活動や新たな発言があるわけではなく、確認できるのは生前の仕事、当時の報道、残された著作や記録です。

【父親と家族】岸井寿郎とはどんな人物だったのか?妻や子供の情報も整理
岸井成格の父親は岸井寿郎です。寿郎は新聞社で働いた経歴を持ち、衆議院議員も務めた人物として知られています。新聞と政治の両方に関わった父の存在は、岸井の家庭的な背景を知るうえで注目される点です。
大阪毎日新聞社のOBらによる大阪毎友会の紹介記事では、寿郎は新聞社を退社した後、1942年に香川県の選挙区から衆議院議員に当選した人物として記録されています。父子ともに新聞や政治と関わりを持ったことは、岸井の経歴を理解する際の背景情報になります。ただし、父の職歴だけを根拠に、岸井が記者を志した直接の理由まで断定することはできません。
岸井の家族については、妻や子供がいたことが報道や人物紹介で伝えられています。一方、妻の氏名や子供の人数、職業など、家族一人ひとりの詳細なプロフィールは、広く確認できる公的情報としては限られています。
岸井の死去を伝えた報道では、家族が病気の時期を支えていた様子もうかがえます。しかし、家族の私生活について、本人や家族が広く公表していない情報まで具体的に推測することは適切ではありません。
また、岸井成格の父親について調べる際には、岸井寿郎と岸井成格本人の経歴を混同しないことも大切です。父は新聞人・政治家として活動し、成格は戦後の新聞報道とテレビ解説の世界で長年にわたり活動しました。
【ジャーナリストとしての功績】岸井成格が残したものと評価のポイント
岸井成格の功績は、毎日新聞社で要職を歴任したことだけではありません。政治の取材現場で得た知識を新聞の論説に生かし、テレビを通じて幅広い視聴者に届けた点にもあります。
新聞の政治記事では、政策の経緯や政治家の発言を正確に伝えることが基本となります。一方、テレビのニュース解説では、限られた時間の中で複雑な政策をかみ砕き、視聴者が問題の構造を理解できるようにする力が求められます。岸井は政治部長や論説委員長、主筆を経験した後、NEWS23のアンカーとしてこの役割を担いました。
また、サンデーモーニングへの長年の出演を通じ、政治・社会問題について自分の見解を示すコメンテーターとしても知られました。2014年には、優れたテレビ作品などに贈られる橋田賞を報道番組の解説者として受賞したことがスポーツニッポンの訃報で紹介されています。
一方、岸井の活動を評価するには、政治的な主張とジャーナリストとしての役割を分けて考える視点も必要です。権力を監視し、政策に疑問を呈することは報道の重要な機能ですが、ニュース番組のアンカーがどこまで明確な立場を表明すべきかについては、意見が分かれます。
安保法案をめぐる論争は、単に岸井個人への賛否にとどまらず、ニュース番組における解説と意見表明の境界、放送法上の政治的公平性、報道機関の自主性を考える材料にもなりました。2016年の産経新聞による報道も、当時の議論を振り返る資料の一つです。
岸井の功績を理解するうえで参考になるのは、次の三つの観点です。
- 取材力:熊本支局から政治部、ワシントン特派員まで経験し、国内政治と国際情勢の双方を取材したこと。
- 解説力:新聞社の論説部門で要職を務めた後、テレビで政治・社会問題を分かりやすく説明したこと。
- 批判精神と説明責任:政権の政策を厳しく論じた一方、その発言が報道の公平性をめぐる議論を引き起こしたこと。
この三つを合わせて見ることで、岸井成格を単なるテレビの有名コメンテーターとしてではなく、新聞社の政治報道とテレビジャーナリズムの双方に関わった人物として捉えられます。

【岸井成格】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:岸井成格の死因は何ですか? A1:2018年5月15日、肺腺がんのため73歳で亡くなりました。日刊スポーツなどの報道では、東京都内の自宅で死去したと伝えられています。
Q2:岸井成格は大腸がんも公表していたのですか? A2:はい。2007年12月に「サンデーモーニング」で大腸がんを公表しました。2017年10月には、がん治療のために入院していたことも番組で明かしています。死因として報じられたのは肺腺がんです。
Q3:岸井成格はNEWS23でいつアンカーを務めていましたか? A3:2013年4月から2016年3月までです。降板後もTBSの専属スペシャルコメンテーターとして活動し、サンデーモーニングなどに出演していました。
Q4:岸井成格の父親は誰ですか? A4:父親は岸井寿郎です。新聞社での勤務経験があり、衆議院議員も務めた人物として知られています。
Q5:岸井成格の妻や子供について詳しい情報はありますか? A5:妻や子供がいたことは人物紹介や報道で伝えられていますが、家族の氏名や人数、詳しい職業などについては、一般に確認できる情報が限られています。
Q6:岸井成格の評判はなぜ分かれるのですか? A6:政権に対して厳しい姿勢を貫いたことを評価する声がある一方、2015年の安全保障関連法案をめぐる発言について、報道番組の政治的公平性の観点から批判が起きたためです。発言の内容と、それに対する各方面の主張を分けて検討することが重要です。
まとめ:岸井成格の経歴・死因・功績を振り返る
岸井成格は、1967年に毎日新聞社へ入社し、政治部長、論説委員長、主筆などを歴任した政治記者です。NEWS23のアンカーやサンデーモーニングのコメンテーターとして、新聞の政治報道で培った経験をテレビのニュース解説に生かしました。
2018年5月15日に73歳で亡くなり、死因は肺腺がんでした。2007年には大腸がんを公表しており、2017年末からはテレビ出演を休んでいました。父の岸井寿郎は新聞人であり政治家でもあり、岸井自身も政治と報道が交差する場所で長年仕事を続けました。
岸井成格の功績を考える際は、政治権力を監視する姿勢や、複雑な政治問題を解説する力を評価するだけでなく、安全保障関連法案をめぐる論争や報道の公平性に関する批判も併せて振り返ることが大切です。
一人のジャーナリストの評価は、好悪や政治的立場だけで決められるものではありません。実際の取材歴、番組での発言、報道機関の説明、同時代の批判と評価を照らし合わせることが、岸井成格という政治記者の仕事を立体的に理解する手がかりになります。 (出典: 岸井 成 格(Yahoo!ニュース))