稀勢の里寛の現在は?結婚・妻の報道から第72代横綱の歩みと引退後を徹底解説
2026年現在、元第72代横綱・稀勢の里寛は、年寄・二所ノ関として茨城県阿見町の二所ノ関部屋を率い、次代を担う力士の育成に取り組んでいます。現役時代には、長年の悲願だった幕内初優勝を経て横綱に昇進。引退後は早稲田大学大学院スポーツ科学研究科を修了し、伝統的な相撲の指導に科学的なトレーニングや部屋運営の新しい考え方を取り入れてきました。
一方、稀勢の里の結婚や妻については、現役時代の「相撲に専念したい」という姿勢が知られる一方、2022年には結婚を公表しています。2026年の最新動向から横綱昇進の経緯、引退後の活動、結婚観、指導者としての人物像まで、日本相撲協会の公式プロフィールや部屋の公式情報、報道各社の記事をもとに整理します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 現在の活動:年寄・二所ノ関として二所ノ関部屋を率い、横綱・大の里らの指導にあたっている。
- 横綱としての実績:2017年1月場所で初優勝し、第72代横綱に昇進。幕内優勝は通算2回。
- 引退後の学び:2021年3月に早稲田大学大学院スポーツ科学研究科を修了し、科学的な指導や部屋運営に生かしている。
- 結婚・妻:2022年4月に結婚を公表。相手は6歳年下の一般女性と報じられている。
- 2026年の注目点:9月の秋場所では大の里が通算6度目の幕内優勝を達成。師匠としての指導力にも注目が集まっている。
【2026年最新】稀勢の里寛の現在は?二所ノ関親方としての活動
稀勢の里寛の現在の肩書は、年寄・二所ノ関です。日本相撲協会の公式プロフィールでは、本名を萩原寛、出身地を茨城県牛久市とし、現在の所属部屋を二所ノ関部屋としています。2026年10月時点で40歳を迎え、現役力士から後進を育てる指導者へと役割を変えています。
現在の活動を語るうえで欠かせないのが、弟子の横綱・大の里です。二所ノ関部屋は、稀勢の里が引退後に築いてきた育成環境から、次代の角界を代表する力士を輩出しました。2025年5月には大の里が第75代横綱に昇進。師匠自身が第72代横綱だったこともあり、横綱経験者が新たな横綱を育てるという師弟関係が注目されています。
2026年9月27日の大相撲秋場所千秋楽では、大の里が大関・安青錦との相星決戦を制し、通算6度目の幕内優勝を達成しました。日刊スポーツの報道によると、土俵下で見守った二所ノ関親方は「今日ぐらいは褒めてあげていいかな」と笑顔を見せています。弟子の勝利を喜びながら、日頃は厳しく指導する師匠の姿が伝わる場面でした。
二所ノ関部屋の公式サイトでは、伝統を大切にしながら科学的な稽古やスポーツビジネスの手法を取り入れる方針を掲げています。稽古場には土俵を2面設け、力士が効率よく稽古できる環境を整備。小学生と現役力士が一緒に稽古する機会や、地域の学校と連携した相撲教室などにも取り組んでいます。
また、相撲部屋を力士だけの閉じた空間にせず、地域住民や子どもたちが相撲に触れられる場所にすることも、二所ノ関親方の活動の特徴です。現在の稀勢の里を理解するには、土俵上の勝敗だけでなく、部屋づくりや地域との関係構築まで視野に入れる必要があります。

【経歴・プロフィール】本名や出身地、横綱までの歩みを年表で整理
稀勢の里寛は1986年7月3日生まれ。本名は萩原寛(はぎわら・ゆたか)で、しこ名の「稀勢の里」は「きせのさと」と読み、名前の「寛」は「ゆたか」と読みます。日本相撲協会の公式プロフィールによると、身長188センチ、体重177キロ。得意技は左四つ、寄り、突きです。
出生地は兵庫県芦屋市ですが、父親の転勤などを経て茨城県で育ち、公式プロフィール上の出身地は茨城県牛久市となっています。中学卒業後に角界へ入り、2002年3月場所で初土俵を踏みました。恵まれた体格と左を差して前に出る力強い取り口を武器に、着実に番付を上げていきます。
稀勢の里の主な経歴を、日本相撲協会の公式プロフィールと二所ノ関部屋の公式紹介に基づいてまとめました。
| 時期 | 出来事 | 主なポイント |
|---|---|---|
| 1986年7月3日 | 誕生 | 本名は萩原寛。出身地は茨城県牛久市。 |
| 2002年3月 | 初土俵 | 鳴戸部屋に入門し、角界での歩みを始める。 |
| 2004年5月 | 新十両 | 関取に昇進。 |
| 2004年11月 | 新入幕 | 幕内力士として活躍を始める。 |
| 2012年1月 | 大関昇進 | 上位陣の一角として横綱昇進を目指す。 |
| 2017年1月 | 幕内初優勝 | 初場所で14勝1敗を記録。 |
| 2017年3月 | 第72代横綱に昇進 | 平成時代に横綱昇進を果たした最後の力士となる。 |
| 2019年1月 | 現役引退 | 横綱としての現役生活に幕を下ろす。 |
| 2021年3月 | 大学院修了 | 早稲田大学大学院スポーツ科学研究科を修了。 |
| 2021年 | 荒磯部屋を創設 | 独立して師匠となり、同年12月に二所ノ関を襲名。 |
| 2022年6月 | 二所ノ関部屋が本格始動 | 茨城県阿見町の新たな拠点で部屋を運営。 |
| 2025年5月 | 弟子の大の里が横綱昇進 | 第75代横綱が誕生し、指導者としても大きな節目を迎える。 |
| 2026年9月 | 大の里が秋場所で優勝 | 大の里が通算6度目の幕内優勝を達成。 |
日本相撲協会の公式記録によると、稀勢の里の生涯戦歴は800勝496敗97休、101場所。幕内では714勝453敗97休を記録し、幕内優勝2回、殊勲賞5回、敢闘賞3回、技能賞1回という実績を残しています。
この数字から見えてくるのは、単に横綱まで上り詰めたという事実だけではありません。長い現役生活を通じて安定して上位で戦い続け、優勝を争う力士として存在感を示してきたことが、800勝という通算成績にも表れています。
【横綱昇進の経緯】初優勝までの苦闘と2017年春場所の逆転劇
稀勢の里の横綱昇進は、長年にわたる試行錯誤の末に実現しました。2012年1月場所で大関に昇進したものの、そこから横綱になるまでには約5年を要しています。実力がありながら優勝に届かない時期が続き、優勝次点を重ねたことも、当時の稀勢の里を語るうえで欠かせません。
転機となったのは、2017年1月の初場所です。稀勢の里は14勝1敗で悲願の幕内初優勝を達成。日本相撲協会は1月25日の番付編成会議と理事会で横綱昇進を正式決定しました。昇進の伝達式では「謹んでお受けいたします。横綱の名に恥じぬよう精進いたします」と口上を述べています。
当時30歳での昇進は、若くして横綱に上がる力士とは異なる歩みでした。しかし、長く大関を務めてきたからこそ、横綱という地位に求められる責任や、優勝を続けることの難しさを身をもって知っていたとも考えられます。
そして、稀勢の里の横綱人生を象徴する出来事となったのが、2017年3月の春場所です。左肩付近を負傷しながら出場し、千秋楽には大関・照ノ富士との優勝決定戦を制して、2場所連続となる幕内優勝を果たしました。負傷を抱えながら最後まで勝負を諦めなかった姿は、多くの相撲ファンの記憶に残っています。
一方で、横綱には勝ち続けることだけでなく、体調管理や休場の判断も求められます。負傷後は思うような相撲を取れない時期が続き、2019年1月場所限りで引退しました。横綱昇進までの苦闘と、昇進後に直面したけがの問題は、強さだけでは乗り越えられない横綱という地位の厳しさを示しています。
稀勢の里の現役時代を評価する際には、優勝回数だけを比較するのではなく、長期にわたる上位での戦い、横綱昇進までの道のり、負傷を抱えた春場所での優勝という複数の要素を合わせて見ることが大切です。

【引退後の活動】早稲田大学大学院で学び、二所ノ関部屋を築く
稀勢の里は2019年1月に現役を引退し、当初は年寄・荒磯を襲名しました。その後、独立して荒磯部屋を創設。2021年12月に二所ノ関を襲名し、部屋名も二所ノ関部屋に変更しました。現在の拠点は茨城県稲敷郡阿見町です。
引退後の大きな特徴は、大学院でスポーツ科学を学んだことです。二所ノ関部屋の公式紹介によると、稀勢の里は2021年3月に早稲田大学大学院スポーツ科学研究科を修了しました。現役時代に培った経験だけに頼らず、スポーツ科学やトレーニング、組織運営について学び、指導者としての土台を広げています。
相撲界には、師匠の経験や伝統的な稽古方法を通じて弟子を育てる文化があります。一方、二所ノ関部屋の公式方針には、科学的な稽古やスポーツビジネスの手法を導入する姿勢が明記されています。伝統を否定するのではなく、伝統を守りながら効率や安全性を高めようとする考え方です。
たとえば、部屋に2面の土俵を設けることは、稽古の待ち時間を減らし、力士が効率よく練習できる環境づくりにつながります。また、地域の小中学校との連携や相撲教室の開催は、子どもたちが相撲を身近に感じる機会を増やす取り組みです。部屋の運営を競技力向上だけに限定せず、地域との関係づくりまで広げている点に特色があります。
こうした取り組みは、引退した横綱がどのように経験を次世代へ引き継ぐかという問題への一つの答えでもあります。現役時代の実績を誇るだけでなく、学び直しによって指導の選択肢を広げ、弟子が成長できる環境を整える。稀勢の里の引退後は、力士としての成功を部屋全体の成果へとつなげる段階に入ったといえます。
【結婚・妻の真相】2022年に結婚を公表、現役時代の結婚観はどう変わった?
稀勢の里の結婚については、現役時代の「相撲に専念したい」という姿勢と、引退後に結婚を公表した経緯を分けて理解する必要があります。
2017年に横綱へ昇進した際、日刊スポーツや女性自身などの報道では、現役中は相撲に集中するため結婚しないという本人の考えや、父親が語った結婚観が紹介されました。父親は、息子について「結婚と相撲、両立はできませんよ」と話し、現役時代は相撲に専念してほしいという趣旨の考えを明かしています。
こうした報道から、稀勢の里は結婚に消極的で、独身を貫く人物という印象が広がりました。ただし、当時の考えは横綱として現役生活を送る期間についてのものです。その後の結婚を否定するものではありませんでした。
実際、スポーツニッポンや日刊スポーツなどは2022年4月27日、二所ノ関親方が結婚を公表したと報じています。相手は6歳年下の一般女性で、同年に入ってから結婚したと伝えられました。部屋の公式SNSを通じて、親方は結婚を報告するとともに、今後も後進の育成に邁進する意向を示しています。
スポーツニッポンの報道では、夫人について「尊敬できる人。一緒にいて居心地がいい」と語ったことも紹介されました。相手の氏名や詳しいプロフィールなど、プライベートに関する情報は広く公表されていません。妻は一般女性として報じられており、家族の詳細については公表情報の範囲で理解するのが適切です。
結婚観をめぐる経緯を時系列で見ると、現役時代は競技に集中し、引退後に家庭を築くという選択をしたことが分かります。現役中に結婚しないと報じられたことと、2022年に結婚を公表したことは矛盾しません。人生の段階に応じて優先順位を変えたと捉えると、報道の流れを理解しやすくなります。
また、結婚した事実と、妻や家族の私生活を公に詳しく語ることは別の問題です。現在の二所ノ関親方は、部屋の師匠としての活動を中心に公の場に立っており、家庭について必要以上に情報を公開しているわけではありません。

【大神風への叱咤】元力士の再出発に表れた指導者としての一面
稀勢の里の人物像を知るうえでは、現役力士の指導だけでなく、引退後の生き方を考える人への接し方も興味深いエピソードです。元幕下力士の大神風は、引退後に警備員として働いていた時期がありました。その後、稀勢の里の言葉が人生の転機になったと伝えられています。
紹介されているエピソードによると、稀勢の里は大神風に対して、「なんのために修業してきたんだ。みんなに『さすが元力士!すごい!』と言わせてこそ、相撲界での修行の意味があるんじゃないか」と叱咤しました。
この言葉は、単に警備員という仕事を否定したものとして読むべきではありません。むしろ、相撲界で身につけた経験や能力を、自分自身が納得できる形で社会に生かしてほしいという趣旨として受け止められます。実際、大神風はその後、不動産会社で働き始め、地域との連携事業や事業経営にも関わるようになったと紹介されています。
このエピソードで注目したいのは、稀勢の里が相撲の技術だけでなく、力士として過ごした年月の意味まで問いかけている点です。厳しい稽古を重ねた経験は、現役を引退した時点で消えるものではありません。仕事の進め方や人間関係、責任感など、別の場所でも活用できる可能性があります。
二所ノ関親方は、自らも横綱としての現役生活を終え、大学院で学び、部屋を運営するという新たな道を歩んできました。その経験を踏まえると、大神風への叱咤は、相手の可能性を見限らず、これまでの経験を次の挑戦に結びつけるよう促した言葉として理解できます。
もちろん、一つのエピソードだけで指導者としての性格すべてを断定することはできません。しかし、弟子の育成、科学的な稽古環境の整備、地域との交流、引退後の再出発への助言を並べてみると、稀勢の里が相撲を通じて培ったものを次の世代や社会へつなごうとしている姿勢が浮かび上がります。
【プロの結論】稀勢の里寛を理解する3つの判断基準
稀勢の里寛の歩みを評価する際には、次の3つの視点が役立ちます。
第一に、現役時代は昇進の速さよりも継続力に注目することです。大関昇進から横綱昇進までには時間がかかりましたが、長年にわたって上位で戦い続け、2017年に初優勝と横綱昇進を実現しました。通算800勝という数字も、長い現役生活を支えた力の一つです。
第二に、引退後の活動を横綱時代の実績とは別の尺度で見ることです。大学院での学び、二所ノ関部屋の環境整備、弟子の育成、地域との交流は、現役時代の勝敗だけでは測れません。師匠としてどのような力士を育て、部屋をどう発展させるかが、現在の稀勢の里を評価する重要なポイントになります。
第三に、結婚観に関する過去の報道を現在の私生活と混同しないことです。2017年には現役中の結婚を避ける考えが報じられましたが、2022年には本人が結婚を公表しています。過去の記事の見出しだけを見て現在も独身だと判断すると、事実関係を取り違えることになります。
横綱としての実績、引退後の学び、師匠としての成果、そして私生活に関する公表情報をそれぞれ整理することで、稀勢の里寛という人物を一面的ではなく、より立体的に理解できます。
【稀勢の里寛】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:稀勢の里寛は2026年現在、何をしていますか?
A1:年寄・二所ノ関として二所ノ関部屋を率い、現役力士の指導や後進の育成に取り組んでいます。2026年9月には、弟子の横綱・大の里が秋場所で通算6度目の幕内優勝を果たしました。
Q2:稀勢の里の本名と出身地はどこですか?
A2:本名は萩原寛(はぎわら・ゆたか)です。日本相撲協会の公式プロフィールでは出身地を茨城県牛久市としています。1986年7月3日生まれで、2026年10月時点では40歳です。
Q3:稀勢の里は結婚していますか?妻は誰ですか?
A3:はい。2022年4月に結婚を公表しています。報道によると、相手は6歳年下の一般女性です。妻の氏名など、詳しい個人情報は広く公表されていません。
Q4:稀勢の里はなぜ第72代横綱に昇進できたのですか?
A4:2017年1月場所で14勝1敗を記録して幕内初優勝を達成し、日本相撲協会が同月25日に横綱昇進を正式決定したためです。大関として長年上位で戦い続けた末の昇進でした。
Q5:稀勢の里は早稲田大学を卒業したのですか?
A5:二所ノ関部屋の公式紹介によると、2021年3月に早稲田大学大学院スポーツ科学研究科を修了しています。引退後に学びを深め、現在の指導や部屋運営にも科学的な考え方を取り入れています。
Q6:稀勢の里の現役時代の優勝回数は何回ですか?
A6:幕内優勝は通算2回です。2017年1月場所で初優勝し、同年3月の春場所では負傷を抱えながらも優勝を果たしました。生涯戦歴は800勝496敗97休です。
まとめ:稀勢の里寛の現在は、横綱を育てる新たな挑戦の段階へ
稀勢の里寛は、第72代横綱として長い道のりの末に頂点へ上り詰め、2019年1月に現役を引退しました。その後は早稲田大学大学院スポーツ科学研究科を修了し、年寄・二所ノ関として部屋の運営と力士の育成に力を注いでいます。
2026年には、弟子の大の里が秋場所で通算6度目の幕内優勝を果たしました。師匠として次の世代の成果を支える姿は、現役時代とは異なる形で相撲界に貢献していることを示しています。伝統的な稽古と科学的なアプローチを組み合わせ、地域との交流にも取り組む二所ノ関部屋の活動は、今後の相撲部屋のあり方を考えるうえでも注目されます。
結婚についても、現役中は相撲に専念したいという考えが報じられた一方、2022年には一般女性との結婚を公表しています。過去の報道と現在の状況を時系列で整理すれば、結婚観をめぐる情報の混乱も解消できます。
稀勢の里の歩みは、横綱になることだけが成功ではなく、引退後に何を学び、誰を育て、どのように経験を次世代へ受け継ぐかも大切だと教えてくれます。二所ノ関親方がこれからどのような力士を育て、部屋を発展させていくのか。2026年以降も、その指導者としての挑戦に注目が集まりそうです。 (出典: 稀 勢 の 里 寛(Yahoo!ニュース))